2012.3.25 女川町でのこと
2012.04.06 Friday 22:38 | ライフログ - lifelog
3/24、仙台で演奏した話はまたあらためて。
今回は翌25日のことを書こうと思います。
仙台の朝。



仙台駅西口さくら野百貨店仙台店の前33番から、
石巻行きのミヤコーバス(宮城交通)に乗り、石巻駅からまたバスで女川へ。
電車は(バスもですが)まだ全然復旧していません。

女川運動公園前(終点)の1個前、女川病院前で降車。
病院の駐車場から見渡す町は
津波で損壊したいくつかの大きな施設がそのまま残っているほかは
すべてさらわれてしまったままで、言葉を失う。



私が立っていたその病院はかなり高台にあるのですが、

その病院の一階部分も殆ど、17m越えの波にのまれたそうです。

「明日のエネルギーを担う町」という看板を目にするいっぽうで
波で壊れたままの女川原発へのルートが表示された標識が転がっていました。

余談ですが今回ガイガーカウンター(Radi)を持っていて、
(あまり使いませんでしたが)ときどき思い出したように測ったところによると
少なくとも仙台市内、女川町、東京の私の自宅の3箇所でいちばん高かったのは
東京の私の部屋で0.077μSv/hでした。




小学校のころ習った『リアス式海岸』の海をはじめて見ました。

うみねこも、はじめて見ました。





女川の海、美しいな、と素朴に思いました。
今回、女川町に行ったのはとても個人的な理由です。
理由を説明する代わりといってはなんですが、 Play for Japan 2012 Vol.4 に寄せた
『白い鳥の唄』を聴いていただけたらと思います。
東北の多くの地域でまだ交通網の復旧の目処が立っておらず
震災や津波の被害に遭った場所も
まだ何が終わったわけでもないというところが殆ど。
女川で、二間しかない大変狭い仮設住宅に子ども3人をかかえ
5人家族で暮らしているというお母さんと話しました。
『仮設住宅に入れるだけいい方だけど』『うちは家族は大丈夫だったけど』
そのようなことを告げる彼女の口調に屈託はなかったけれど、
状況は明らかにシビアで『頑張ってください』なんて言えず、
『大変ですね』もなんだか他人事然としていて言えず、
相槌を打つぐらいしかできなかった。
あれから約1年、いま自分の生活にはさしたる不自由もないけれど
いっぽうで同じ国の中には深く傷ついて
物理的に不自由な生活を余儀なくされている場所があることを痛いほど知る。
今回は行って帰る以外とくに何もできなかったし
次行くときは、私にでもできることを事前に探してから行きたい。
バスだと(特に休日は)本数が少ないので、車が出せたらいいのだけれど。
ところで、わたしは普段ふつうに日中仕事をしていて、
3月いっぱいで次の職場に移動になったのですが、前の職場にて
「女川へ行こうと思う」と話したら交通手段を教えてくださった方がいて、
今回そのプリントを手に行きました。どうもありがとうございます。
頭の中でめぐっていることは言葉にまとめられないままですが、
今日は、こんなところです。
今回は翌25日のことを書こうと思います。
仙台の朝。



仙台駅西口さくら野百貨店仙台店の前33番から、
石巻行きのミヤコーバス(宮城交通)に乗り、石巻駅からまたバスで女川へ。
電車は(バスもですが)まだ全然復旧していません。

女川運動公園前(終点)の1個前、女川病院前で降車。
病院の駐車場から見渡す町は
津波で損壊したいくつかの大きな施設がそのまま残っているほかは
すべてさらわれてしまったままで、言葉を失う。



私が立っていたその病院はかなり高台にあるのですが、

その病院の一階部分も殆ど、17m越えの波にのまれたそうです。

「明日のエネルギーを担う町」という看板を目にするいっぽうで
波で壊れたままの女川原発へのルートが表示された標識が転がっていました。

余談ですが今回ガイガーカウンター(Radi)を持っていて、
(あまり使いませんでしたが)ときどき思い出したように測ったところによると
少なくとも仙台市内、女川町、東京の私の自宅の3箇所でいちばん高かったのは
東京の私の部屋で0.077μSv/hでした。




小学校のころ習った『リアス式海岸』の海をはじめて見ました。

うみねこも、はじめて見ました。





女川の海、美しいな、と素朴に思いました。
今回、女川町に行ったのはとても個人的な理由です。
理由を説明する代わりといってはなんですが、 Play for Japan 2012 Vol.4 に寄せた
『白い鳥の唄』を聴いていただけたらと思います。
東北の多くの地域でまだ交通網の復旧の目処が立っておらず
震災や津波の被害に遭った場所も
まだ何が終わったわけでもないというところが殆ど。
女川で、二間しかない大変狭い仮設住宅に子ども3人をかかえ
5人家族で暮らしているというお母さんと話しました。
『仮設住宅に入れるだけいい方だけど』『うちは家族は大丈夫だったけど』
そのようなことを告げる彼女の口調に屈託はなかったけれど、
状況は明らかにシビアで『頑張ってください』なんて言えず、
『大変ですね』もなんだか他人事然としていて言えず、
相槌を打つぐらいしかできなかった。
あれから約1年、いま自分の生活にはさしたる不自由もないけれど
いっぽうで同じ国の中には深く傷ついて
物理的に不自由な生活を余儀なくされている場所があることを痛いほど知る。
今回は行って帰る以外とくに何もできなかったし
次行くときは、私にでもできることを事前に探してから行きたい。
バスだと(特に休日は)本数が少ないので、車が出せたらいいのだけれど。
ところで、わたしは普段ふつうに日中仕事をしていて、
3月いっぱいで次の職場に移動になったのですが、前の職場にて
「女川へ行こうと思う」と話したら交通手段を教えてくださった方がいて、
今回そのプリントを手に行きました。どうもありがとうございます。
頭の中でめぐっていることは言葉にまとめられないままですが、
今日は、こんなところです。
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